1年コース 22期
筆者: 小安 亮さん
1980年3月、日本生産性本部指導者養成講座1年コース22期生である我々61名は卒業した。貴重な青春の1年間、研修生活を共にし、激動の時代を生き抜いた同期として、連帯感が強い。5年ごとに同期会を渋谷で開催している。
2000年6月9日に卒業20周年で久しぶりに渋谷のホテルに集った。以降、2006年3月11日に25周年、2011年2月19日に30周年、2015年2月22日に35周年をいずれもエクセルホテル東急で開催しています。
参加者は、25周年32名、30周年28名、35周年21名と減少傾向であるが、まだまだ意気盛んなメンバーが多い。語りだすと、皆、研修生時代と変わらない。
22期の主なメンバーを紹介します。茗谷倶楽部会長の川田憲治氏、JPC所属経験のあるコンサルタント中村博氏、長井和男氏、松本紘氏、松崎英夫氏、淡路富男氏。激動の時代、旧拓銀出身者である、松浦良一氏は、北洋銀行を経て上光証券社長、松原直樹氏はコンサルタントとして活躍されている。大岩蓮氏は丸井労働組合の委員長など。
22期生の講座で、今でも思い出す講師が多い。「シイ・タブ・カシ」など鎮守の森を守れと訴え生態学の奥深さを教えて頂いた宮脇昭横浜国立大名誉教授(当時50歳)、「知識経営の生みの親」と知られる野中郁次郎一橋大学名誉教授は当時防衛大学教授54歳の気鋭の学者であった。北野弘久教授(武の兄)、坂川山輝夫氏も懐かしい。なかでもJPC本講座出身の先輩コンサルタント、伊橋俊彦氏、大江田清氏、花菱聡一朗氏などは兄貴分のようで、何でも話せる存在であった。
今でも同期の話題になるのは、企業診断実習で寝食を共にし、悪戦苦闘した発表や個人的エピソードなどである。「おかめ納豆」「立山貫光ターミナル」「菱和車体工業」などが良く語られている。
同期会では、毎回全員に「3分間スピーチ」の機会を与えています。長口舌すると、ベルで警告します。また全員に「色紙」を書いて頂いています。色紙の言葉をご紹介します。「JPCでの経験が社長業でも役立っています。一部上場へ向け、あと3年、頑張っていくつもりです。Y氏」「1年米を作り、10年木を育て、100年人を育て、あとはあの世。S氏」「病を克服してエージ・シュートを達成したい。A氏」「日々新たなり。Face
Bookなど新しいことに挑戦しています。K氏」「次回も全員元気で集まりましょう。M氏」etc.
永久幹事の私に対し、「次回は5年後でなく、もっと早く、3年後に合いたい」との要望があります。北海道や、山口県広島県からもメンバーは渋谷へ集合しています。私も体力の続く限り、縁の下の力持ちを続けて参ります。

